essay

よく聞いておいてくださいねと、その人は言った

 大学時代、私は競技ダンス部に所属していた。部は、私が通っていた女子大と近隣の共学校が提携するかたちで運営されていた。

 競技ダンスとは、女性と男性がペアになり、ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャチャなどを踊ってできばえを競うスポーツだ。同性ペアが出場できる大会もすこしずつ増えているが、まだ圧倒的に「競技ダンス=男女ペア」のイメージが根強い。

「男は男らしく」「女は女らしく」の圧も、非常に根強い。

 男女ペアにおいては、男性が全体の動きやスピードをコントロールする。女性は男性のコントロールに応じて動く。

 だから、男性を「リーダー」と呼ぶ。

 ダンスをリードするから、「リーダー」だ。

 ある日、女子大側の部員たちの会話に頻繁に登場する「リーダー」という言葉に、ひとりの先生が「待った」をかけた。うちの大学の先生だが、部の顧問や直接の関係者ではなかった。四十代か五十代か。女性の方だった。

「さっきからあなたたちが言っている“リーダー”って、誰のことですか? 部長のことですか?」

 私含む部員たちは競技ダンスのルールをざっくりと説明し、「要するに、男性のことです。私たちは男性をリーダーと呼ぶんです」と答えた。

 先生はショックを受けたように一瞬黙りこみ、「女性をリーダーとは呼ばないの?」と私たちにたずねた。

 私たちはたぶん、その質問をちょっとあざ笑ったと思う。

「呼びません。女性はリーダーにならないので」

 覚えている。このやりとりをかわした場の空気を。春だった。二十歳前後の私たちは、日常的に使っている呼称を聞き咎められたことや、突如始まった“お説教ムード”にしらけきっていた。先生だけが、この世の怒りと悔しさに押しつぶされそうな顔をしていた。

 先生は時間をかけて言葉を選び、真剣な声でこう言った。

「あなたたちが取り組んでいるスポーツのルールは理解しました。理解した上で言いますが、男性をリーダーと呼び、女性をリーダーと呼ばないことに、どうか絶対に慣れないでください。女性がどう動くか、どれくらいスピードを出すか、あるいは出さないかを男性が決め、女性がそれに従うことは、競技ダンスの現行ルールにかぎった話です。いいですか、よく聞いておいてくださいね。絶対に慣れてはいけませんよ」

(けっ、うるさいな)

 私は内心ふんぞり返った。ふんぞり返りつつも、先生の言葉は私の心に奇妙な印象を残した。たとえば知らない言語の歌を聴いたとき、歌詞の意味はわからなくても、なにかとても大切なことを教えてくれている気がする場合がある。まさにそんな感じで。

「リーダー」呼びに端を発して、私たちは部活の運営状況を詳しく明かさねばならなくなった。
 先生が問題視したのは次の二点だ。地区ブロックの大会に出場する際、○○女子大学の名前ではなく共学校の名前のみでエントリーしていること。二校はさほど遠く離れていなかったが、部員全員が集まって行う定期的な練習会の九割を共学校で行っていること。

 以上について、すみやかな変更を求められた。

 ああ、意味がわからない。めんどくさすぎる。なんでこんなことに。

 私たちは思いっきり愚痴をこぼしながら対応した。結果、大会のパンフレットには、うちの大学の部員名の横に「○○女子大学」と所属校が明記されるようになった。ダンスフロアに入場するときの場内アナウンスも「△△大学、○○女子大学」に変わった。練習は、うちの大学で行う頻度が増えた。

 今ならわかる。全部、びっくりするくらい、大事なことだった。

 なぜ、男女比がほぼ同一のスポーツにおいて、歴代の部長がずっと男子部員だったのか。なぜ、あらゆる面において男子部員に決定権があったのか。

 なぜ、男性が「リーダー」役なのか。

 なぜ、女性が「リーダー」役ではないのか。

 念のため断っておくと、競技ダンスは最高にエキサイティングで奥深いスポーツだ。ふたりで踊るからこそのエネルギーと可動域。リードとフォローの絶妙な力加減が生むおもしろさ。競技を離れた今なお、私は試合の動画をよく見る。競技ダンスが好きだし、機会があればまた習いたいとも思う。

 けれど、競技ダンスに対するスタンスは大きく変わった。以前の自分には戻れない。男女ペアにおいては男性がかならずリード役で、女性がかならずフォロー役を担うという現行ルールを疑う気持ちを持たない人とは、ペアを組めない。

 競技ダンス界で良しとされる「男らしさ」「女らしさ」「男の役割」「女の役割」は、男性中心・優位社会の価値観をおおいに反映している。もちろん、ペアによって、時代によって、ダンス教室によっては異なる哲学をもって踊ることもあるだろう。しかし少なくとも私がレッスンを受けた環境では、「女性は男性のリードを待たず勝手に動いてはならない」と、スポーツのポジションの話ではなく、「正しい性役割」のトーンで叩き込まれるのが常だった。「勝手に動かず、リードを受けてから最大限応じるのが“良い奥さん”の条件だよ」と。

「男性をリーダーと呼び、女性をリーダーと呼ばないことに、どうか絶対に慣れないでください。女性がどう動くか、どれくらいスピードを出すか、あるいは出さないかを男性が決め、女性がそれに従うことは、競技ダンスの現行ルールにかぎった話です」

 あの言葉は、今振り返ってみれば貴重なフェミニズムの種だった。種は数年かけて芽吹いた。芽吹いたのちもさまざまな出会いに助けられた私は、政治家、役員、管理職、大学教授、イベントやシンポジウムのパネリスト、審査員、裁判官等に女性が少ないことに“慣れない”大人になった。

 先生の名前も顔もおぼえていない。会ってお礼が言えたらいいのに。

 2023年9月。政府は、第2次岸田再改造内閣の副大臣26人、政務官28人の人事を決定した。女性はゼロだった。

岸田文雄首相は内閣改造に当たり、副大臣・政務官には女性を一人も起用しなかった。2001年の副大臣・政務官制度導入後、初めてだ。閣僚に過去最多に並ぶ女性5人を起用したからといって、副大臣・政務官に女性を充てない理由にはならない。

2023年9月20日(水)付け東京新聞朝刊
<社説>副大臣・政務官 女性不在の無責任人事:東京新聞デジタル
岸田文雄首相は内閣改造に当たり、副大臣・政務官には女性を一人も起用しなかった=写真は副大臣ら。2001年の副大臣・政務官制度導入後、初...

 先生の言葉を、このごろ改めて思い出している。

 いいですか、よく聞いておいてくださいね。女性がリーダーと呼ばれないことに、絶対に慣れてはいけませんよ。〈了〉