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女たちよ、感情に心を揺らせ/『私ときどきレッサーパンダ』

 トロントで暮らす13歳のメイリン・リーは、意欲にあふれ、「365日どんなことも自分で決める」人間であると自負している。しかし実際は生活のほぼすべてを過干渉な母親に従って過ごしており、そのことに気づきつつある時期だ。
 メイリンの家はトロントで最も古い寺で、祖先サン・イーを敬っている。サン・イーは学者、詩人、そして動物の守護者であり、特にレッサーパンダに生涯を捧げたため、レッサーパンダが今なお寺のシンボルだ。
 ある朝目を覚ますと、メイリンは巨大なレッサーパンダに変身していて……

Turning Red
2022年 アメリカ 
監督 ドミー・シー

過干渉で支配的な母親とどう向き合うか

 英文学・女性学研究者の田嶋陽子氏は、母親による支配に長年苦しめられた。そこから完全に脱却できたのは、なんと自身が46歳のときだったそうだ。

彼との恋愛があって私自身いろんな体験をしているころ、母が、私の決断に対して、“そんな馬鹿なことを言っていると、世間がうんぬん”みたいなことを言って真っ向から反対したことがありました。そのとき、生まれてはじめて、私は言えたんです。「お母さん、これは私の問題だから、私が決めたことだから、ほうっておいて」って。
 私は、母の“世間がうんぬん”という言い方が虫唾が走るほどきらいでした。母が世間体をもちだして、私をコントロールするのを卑劣だと思っていました。なんで“自分は”と、自分の責任でモノが言えないのか、トラの威を借るキツネじゃないか、と。でも、それまでの私は、母のそのことばに負けてきました。母に遠隔操作されていたわけです。けれども、そのひとことが言えたとき、なんだかそこからフーッと抜けだせたんです。やっと母の呪縛から逃れて、自己決定権を手に入れたのです。

田嶋陽子著『愛という名の支配』新潮社、2019年
『愛という名の支配』 田嶋陽子 | 新潮社
どうして私はこんなに生きづらいんだろう。母から、男から、世間から受けてきた抑圧。苦しみから解放されたくて、闘いつづけているうちに、人生の半分が終わっていた。自分がラクになるために、腹の底からしぼりだしたもの――それが“私

 本作では、レッサーパンダの姿でシャワーカーテンの向こうに隠れるメイリンが、母親のミンに「出てけ!」(Will you just get out?)と叫ぶ。メイリンにとっておそらく初めての、明確な親への拒絶。言った本人も口を押さえておどろくほどの。田嶋氏の「ほうっておいて」と重なる、大切なターニングポイントだ。
 ミンは愛情ぶかく、面倒見がよい。メイリンが初潮を迎えたと勘違いしたのちの世話焼きっぷりは、少々オーバーでデリカシーに欠けるが献身的ではある。メイリンが好きで、自分が彼女の母親であることが好きだ。けれど他者を愛することと他者を尊重することはイコールではないし、家族という接近しやすい関係のなかで、愛はときに支配そのものと化す。愛を免罪符にした支配・被支配を脱却し、母と娘のあたらしい距離感を探る必要性を本作は提示する。

家族は「いわずもがな」「以心伝心」ではない。多くは同床異夢、すれ違い、立体交差の関係に満ちている。

信田さよ子著『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』角川新書、2021年
家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ
一般書「家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ」のあらすじ、最新情報をKADOKAWA公式サイトより。最大の政治集団、それは家族と国家である。私たちはその暴力への抵抗者だ!

「感情的」というレッテルへの抗い

「感情が高ぶると赤きパンダが出る。しかも繰り返すほどに封印が難しくなる」とミンに説明されたメイリンは、母親の教えを忠実に守るふだんの性格に加え、レッサーパンダに変身しないよう細心の注意を払うようになる。
 女性が喜怒哀楽を示すと、論理的でないとか、感情的な人間は信頼できないとか、しばしばそんな烙印を押されがちだ。同じことを言ったり同じ振る舞いをしたとしても、女性でなければ「情熱的」や「一生懸命」程度のソフトさ、あるいはポジティブさでもって歓迎されるところを、女性だとネガティブに評されることは多々ある。

講演などで集まってくれたかたに、「男らしさ」「女らしさ」から連想されるプラス・イメージとマイナス・イメージのことばをあげてもらうと、だいたいつぎのようなものが並びます。
(中略)
「女らしさ」
☆プラス・イメージ───やさしい、従順、愛嬌、かわいい、おとなしい、素直、忍耐、上品、きれい、華奢、美しい、細かい、清潔、ひかえめ、気配り、明るい、色っぽい、芯が強い、柔らかい、料理、洗濯……
☆マイナス・イメージ───ヒステリー、泣き虫、おしゃべり、感情的、わがまま、浅はか、いじわる、視野が狭い、社会性がない……

田嶋陽子著『愛という名の支配』新潮社、2019年

 本作において、メイリンが性差別的な文脈に立脚して「感情的になるな」と強いられることはない。あくまでも「レッサーパンダに変身しないため感情的になるな」だ。
 しかし、個人的な好みや心ときめくものや独立心に芽生えかけている13歳の少女の前に「感情的になるな」という壁が立ちはだかるのは、世に蔓延る「“大人の女性”なら感情的になるな」という抑圧の風刺だろう。《女性と感情》の点で観ると、本作は『キャプテン・マーベル』(2019)を想起させる。主人公のキャロル・ダンヴァース(ブリー・ラーソン)は、地球人としての記憶を失いクリー帝国の特殊部隊に所属するが、そこで徹底して感情を抑えることを教え込まれる。束縛されながら戦ってきたキャロルは自身の半生を辿り、感情と能力を解放して、真のアイデンティティを得るのである。

 ライブに行きたい、いい子なのに信用しないのは変だと叫び、「ただの初ライブじゃなくて大人の女になる第一歩よ」と訴えるメイリンは、初潮のような身体的変化とはまた違う意味で、自分の成長のステップは自己決定権を手に入れることにあると悟っている。

生身の人間であること

 本作に登場する女性キャラクターはとてもリアルだ。メイリン、ミリアム、プリヤ、アビーは、それぞれ体型や外見が細かく異なる。ノートに描いたデヴォンとの架空のロマンスや、バスケットボール中の男子生徒に見惚れるシーンなどは、メイリンのなかにある欲や好奇心をユニーク且つダイレクトに描いている。レッサーパンダになると体の臭いが気になるという点も、いわゆる「どうぶつ臭さ」というより、生身の人間ならばあっておかしくない体臭をコミカルに強調したようにも受け取れる。

 そう、生きていれば、多少なりとも臭うのだ。生きていれば感情が揺れるし、欲も出る。嘘をつくし、めまいがするほど恥ずかしい目に遭ったりする。うれしくて興奮するし、侮辱されて怒ったりする。母親を愛しながら母親から離れたいと願い、母親が良い顔をしないアーティストのライブになにがなんでも行きたくなる。
 この勇敢な映画が、どうかできるだけたくさんの13歳の女の子に届くことを願う。思ったことや感じたことで心を揺らしていけない道理はないし、「“大人の女性”なら感情的になるな」という尤もらしい説教を受け入れてはならない。もちろん13歳だけではなく、感情を出すことを叱られ、抑圧され、縛られているすべての世代の女性に届いてほしい。あなたのなかにも、複雑で大胆でいとおしい獣がいるのだ。