佐山うらら(芦田愛菜)は、人付き合いが苦手で内向的な性格の17歳。迫りくる受験シーズンになんの展望も持てずにいる。うららはある日、アルバイト先の書店にやってきた高齢の女性客が、『君のことだけ見ていたい』というBLコミックを購入したことに衝撃を受ける。
客は75歳の市野井雪(宮本信子)。夫を亡くして今はひとり暮らしだ。自宅で書道教室を営み、心身は健康だが、少しずつ体力の衰えを感じている。雪は、なにげなく買った『君のことだけ見ていたい』にみるみる引きこまれる。
思いがけずBLコミックの世界に夢中になった雪と、BLコミックが大好きという気持ちを誰とも共有したことがなかったうららは、同じ作品のファン同士として58歳差の友情を築いてゆく。
2022年 日本
監督 狩山俊輔
鶴谷香央理による同名コミックの映画化。
うららと雪の年齢差や体力差を随所に感じさせつつ、ふたりきりのファンコミュニティとして交流を深める姿を繊細に描き出す。うららと雪が陽の当たる縁側で語り合うシーンはなんとも言えず愛おしいが、まさにこれから人生の夜明けを迎えようとしているうららと、人生の黄昏時にある雪とでは、それぞれが感じている太陽の陽ざしの色は異なるのかもしれない。異なる時間を生きるふたりが、ほんのわずかな邂逅を、わずかだからこそ、永遠のように慈しむ。その貴重なひとときをすくいとった誠実な映画だ。
本作には、ふたりの女性の友情物語という軸と、タイトルが示す通り「変身」物語の軸がある。これらは相互に作用し合っている。
雪は、BLコミックに初めて出会うという「変身」を果たし、夢中になって読み、語り、「私がうららさんだったらねぇ、もう描いてみちゃうかもしれないわ、自分で」と何気なくこぼす。
うららは驚き、才能が無いだの読むほうが好きだのと言うが、あらゆる葛藤や卑屈な思いをのりこえて、『遠くから来た人』というBLコミックを描きあげるのだ。これがうららの「変身」である。
うららの「変身」は、余裕がないし、軽やかでもない。笑顔にあふれているわけでもない。気恥ずかしさや情けなさ、力の無さとつねに隣合わせだ。
でも、そこにはひとつ、とても大切な感覚がある。漫画描くの楽しい? と雪に聞かれたうららは、こう返すのだ。
あんまり楽しくはないです。自分の絵とか、見てて辛いですし。でも、なにかやるべきことをやってるという感じがするので、悪くないです。
うららと雪の「変身」の影響は、両者間に留まらない。ふたりが愛してやまない『君のことだけ見ていたい』の作者・コメダ優(古川琴音)にも届く。また、字の稚拙さを恥じて当時好きだった作家にファンレターを出せなかった雪の幼少期にまで「変身」の余波は及ぶ。書道のキャリアを積み、75歳になった今、それはそれは美しい字でコメダ優宛てのファンレターをしたためる雪の姿には、時間を重ねることの尊さが垣間見える。本作は、創作活動における幸福なバタフライエフェクトで満ちているのだ。
幼なじみの紡(高橋恭平)の恋人・英莉(汐谷友希)が、学校で友達と楽しそうにBLコミックを広げる姿に嫉妬していたうららが、「変身」を経て、彼女に対する振る舞い方を変えるのも良いシーンだ。うららと英莉は違う感性で生きており、うららは華やかな美貌を持つ英莉を遠く眺め、英莉は紡と親しいうららをほんのかすかに意識している。でも、この映画はふたりを決して対立させない。このような対立の回避は、近年では『あのこは貴族』(2021年)でも印象的だった。今後ますます増えてほしい女性表象である。